文字版ラジオ定期便

抑鬱・適応障害を抱えるウェブライターのブログ

過去と今の線引をしたら生きやすくなった話

こんばんは、最近腰痛気味の附木です。

よく昔のことを思い出しては「ウワァーーー!」ってなっていたんですが、最近はうまくスルーできるようになってきました。

 

その「ウワァーーー!」の回避方法について、まとめておこうかなと思います。

 

目次

 

 

そもろも、考え方って結構変わるよね

今やいろんな意見・主張を簡単にすぐ目にできる時代。

 

自分とはかけ離れた立場の人の意見を目にしたり、反対意見を読んだり…。

他人の着眼点を通して物事を見て、「今までとは異なる考え方をするきっかけ」を得やすくなりました。

 

そこで思ったのは、「考え方って、自分が思っているよりも短スパンで変化しているものなのでは?」っていうこと。

 

ヒトにおいて、肌が一ヶ月、骨が五ヶ月で入れ替わるとされているように、考え方や判断の傾向もいろんな刺激を受けて、意外と変わっているのかもしれない。

というか、振り返ってみると結構数年単位で考え方変わっているような・・・・・・。

 

と、いうことは。

 

今思い出している15年前、10年前、数年前に「ウワァーーー!」な出来事をしでかした「私」って、もはや他人じゃね?

 

と、思ったわけです。

 

15年前、今と同じ思考をしてた?否。

10年前、5年前、同じ思考してた?否。

 

たしかに同じ「私」という人間のしたことだけど、精神性・中身・考え方・人間性・志向性…そういうものが異なる「中身の違う人間」のしたことでもあるよね、と思ったんですね。

 

何年前まで「今の自分と同じ人間」だと言えるのか

それじゃあ、何年前までが「今の自分と同じ中身の人間」なんだろう。

つまるところ話を戻すと、【「ウワァーーー!」ってなる出来事をしたときの自分と、今の自分。同じ中身なのは何年前までなんだろう】っていうのを考えてみました。

 

まあ当然ケースバイケース、「なにがあったかによる」なのだけどもね。

 

いろいろ考えてみた結果、私の場合は三年程度がせいぜいじゃない?っていうところに落ち着きました。

 

だからね、いろいろと「ウワァーーー!」ってなるものを思い出すことも多いけど。

三年より前のことは「ウワァーーー・・・・・・まあ、もはや他人の域だしな」で流せるようになりました。

 

つまり言いたいのは「ウワァーーー!ってなることに時効を設けたら随分楽になったよ」ってことです。

 

※今までしてきたことの責任とか決断とかはまた別の問題として捉えているよ。あくまで「ウワァーーー!」なことの話だよ

 

ただし、その「ウワァーーー!」が人生を作っている

そんなこんなで「三年以上前の出来事はもはや他人の域じゃね?(私の場合)」っていう着地になったわけです。

 

が。

 

その「今の自分」というのは、

「ウワァーーー!」なことも含めた、すべての出来事、すべての傷、すべての人、すべての食物、すべての情報が集まってできたもの

でもあるわけですよ。

 

年輪のように、ミルフィーユのように、今まで経験したもの吸収したもの選択したことすべてが集まって重なって自分を形成している…と思っているわけです。

 

三年以上前の私も、「私」であることには変わりがない。

 

だからね、うまくいえないんだけど、結論としては「今の自分と過去の自分を区切って(割り切って)、うまく付き合っていこう」っていう考え方をしたら楽になったっていう話ですね。

 

まとめ

「自分の人生、責任持って後悔無いように生きなきゃ」

それはそうなんだけど、すべてを背負い続けなきゃいけないわけじゃない。

抱えていくものをうまく取捨選択して、苦しまないようにちょっと軽く調節して、過去にとらわれず楽しんで生きていけたらいいよね。

 

っていう話でした。

うまく言葉にできなかったんだけど、何かしら伝わったらいいな!

それではまた、附木でした!🖐