こんばんは附木です。
特になにがあったというわけではないのですが、『違国日記⑥』を読んだら無性に文章が書きたくて仕方がなくなりました。
ちょっと思っていることをつらつら書こうかと思います。
今回は読書について、また書こうかと思います。
読書って、大体の人にとっては趣味であり、暇つぶしであり、嗜好品であり、いわゆる+αのものだと思うんですよね。
私も、読書に関しては「自分の趣味」だと思っていたんですが、最近「あれ、なんかちょっと違くない?」と思うようになってきました。
それというのも、なんだか「趣味」というよりは「食事」に近いような……。
その証拠に、本を読めは元気が出るし、本を読まなければ元気が出ないどころか集中力もなくなってくる。そこでふと気がついたんです。
あ、読書って、心の食事だ。
どこだったっけ。調べても出てこないのですが、どこかの書店さんで「本は心の栄養素」っていうポスターがあったのを思い出しました。くまざわ書店さんかな。紀伊国屋書店さんだったかもしれない。
でもこれ、全くもってその通りだな、と。
当時もそうだよねって思ったのですが、今ストンと落ちてきたような気がしましたね。
食物は、血肉となって食べた人の体を形成・維持してくれる。
本は、読んだ言葉が生きて心を支え、思考を形成してくれる。
これを食事と言わずしてなんといおうか。
思えば、コンテンツとして消費している文章や漫画だって「食事」なんですよね。大量消費で、味は実際に口にしないと本当の味はわからないし、ジャンクフード的に手を付けられるものもあれば高級料理のようになかなか手の届かないものもある。
受け付けない雰囲気を纏っていても、年を重ねて食べられるようになるものもあるし、その逆も然り。
食べて(読んで)、吸収して、出す(文章を書く)。
このサイクルにあるもので、フィジカルな面に乗っているのかメンタルな面に乗っているのかの違いなんだなぁ、と。
食の好みのように、SNSじゃないと受け付けない人も、新書じゃないと受け付けない人も、ドキドキハラハラな展開がないと飽きてしまう人もいる。
面白いなぁ。うん、面白い。
自己啓発本とかハウツー本を読んで、「インプット!アウトプット!」って言っている人が実は苦手だったんですが、私とは別枠でこの仕組みにあるんだと思えば苦手意識も少し和らいできました。
私は気力というか、メンタルのエネルギー的な意味での「心の食」ですが、他に「知識の食」としての本の使い方をしているのかなと。ちょっと違う見方ができたかな。
食事なら、摂らないわけにはいきません。死んでしまいます。
そういうわけで、心おきなくいっぱい食べて健やかでありたいと思います。
具体的にはいっぱい読んでいっぱい書きます。このサイクルがわかったらもう無敵な気さえする。もりもり読んで書こう。