ブログはともかく、個人的な調べものをしたときにヒットした記事の場合、文章の頭からしっかり読む人ってどれくらいいるんだろう?
こんにちは附木です。
webライターにあるまじきことを言います。
「導入文は大事!」私もそう思う。だけど……
webライターをしていて口酸っぱく言われるのが「導入文は大事!」ってことですよね。
導入で読者の興味を引き付けて、本文を読んでもらえるような文章を書きましょう!って。
はじめに言っておきますが、私はこれに異を唱えたいわけではありません。
でもね、思うんだ。
一般の、文章に四六時中触れているわけでもない、長文に耐性の無い読者が、導入文からそんなしっかり読んでくれるだろうか?って。
そう思ったのは、もともとのウェブ検索のスタイルをふと思い出したことがきっかけでした。
個人的に知りたいことがあって、ググる場合。私はこんな感じです。
- 記事をざざーーーっとスクロールして、知りたい情報のとこだけ読む
- 目的の画像だけみて楽しむ(主にお菓子系の記事とか)
- 目次をみて、欲しい情報のとこに飛んでそこだけ読む
そう、導入文ノータッチなんですよ。
(ざざーっとスクロールして情報を拾おうと思ってページ開いて、あっなんだ頭に書いてあんじゃん~~ってなって読むときもありますけどね。)
なぜライターが丹精込めて書いている導入文に、いっさい触れてこなかったのか。
その理由は「欲しい情報だけ手に入ればいいから」「全部読んでると疲れるし、時間かかるから」というのが挙げられます。
なので正直言うと、私が記事の導入文を読むようになったのはライターを始めてからなんです。(だから導入文の書き方下手なのか)
読書好きな私でさえこうなのに、特にそうでない人はどうなのか?
そもそも私の読み方が雑すぎただけで、他の人はそうでないのか?
……と疑問に思って、家族にちょっくら聞いてみました。
附「なーなー」
おかん「なに?」
附「調べものしたりグーグルさんにおすすめされた記事読んだりするときってさ、ここ(導入文)読む?」
おかん「読まんね~~」
草。
「これ、文章作成に関わる人とか深刻に悩んでいる人とかでなきゃ読まないのでは……?」なんて可能性が出てきてしまいました。
ただし、全員が全員そう(読まない)ではないのだろう。とも思うわけですよ。
記事を読みに来てくれた人の何割かが、丁寧に記事を読んでくれる人だと仮定しましょう。
そのうちの一部が導入文からしっかり読んでくれるとする。
えっ、なに、神さまか?
そんな丁寧に記事に向き合ってくれる人がいたら……そんな、じっくり私の書いた導入文を読んでくれる人がいるなら……
えっ、わたし、100人のなかの1人しか読んでくれないとしても情熱込めて書くう!!!!!
って、思ったわけです。
つまり結論は
「導入文は自分自身読んでこなかったし、周りも読まない人が多いかもしれないけど、読んでくれる一人のために情熱込めて書こう」
です。
「導入文が一番重要」と言われてなんだかもやっとしていた自分よ、今日でさようならだ。
読んでくれた一人を確実に落とせる導入文を書けるようになろう。
一方で、ページの隅々まで読みつくすものもある。それは……
お金を出して買った本と、紙の書籍と、ブログです。
現金な奴ですよ、ほんと。(自分で言うか)
お金を出して買った本は、それこそ広告まで読んじゃう。
紙媒体の書籍は、なんでだろうね、目が疲れないからかな?全部読んでる。
ブログは昨日更新した「人生観 - 文字版ラジオ定期便」でも触れたことに似てきますが、「その人を知りたい」「他人の人生(物語)に触れたい」っていうのが目的なので、記事の内容は全部読む。
同じ文章でも、目的が違うと接し方も違うんだなーと思いました。(感想文)
まとめ
アラサーなのにまだ「なぜなに期」から抜け出せていません。
でもその「そもそも、なんで?」の疑問を大事にして、ひとつずつ掘り下げて解消していけたらいいな、と思っています。
ではでは、附木でした!
どうかまた、お目にかかれますよう。