人間の思考・発言・行動って、その人独自のブレンドから抽出されるコーヒーみたいなもんだろうか。
その人の意思だったり、世界観だったりっていうのって、結局、それまでの人生で何を見聞きし体験したか、どういう情報を取り込んできたかっていうのに左右されるんじゃないかと。
というか、そういう膨大なデータの最新バージョンが「今の自分」だったり「今の思考回路(ひいてはそこから出力される行動・発言)」なんじゃないかな。と思った次第。
自分が個性と思っているものの大部分は、外界からの教育や刺激で形作られるみたいな。(もちろん、もともとの性質もあるけど。)
言ってしまえば、摂取データ量を変える(ブレンド比率を変える)ことで、自分って簡単に変わるもんじゃないかな。とか、コーヒーを入れながら思った。
昨日、迷惑メール評論家の方の記事が話題になっていた。
自分の興味があることにしか関心がないから、世間一般で言う「常識的に考えればわかること」がわからない、というようなことも書かれていた。
ライターとして仕事をしてきても、日常生活を送るなかでも、それは日々実感している。
あまり馴染みのない内容で記事を書かなくてはならないとき、リサーチをしていると、知らない単語が当たり前に使われていて(知っていることが常識として扱われていて)戸惑う。とか。
逆に、自分が馴染みがあると思って出した話題が全然通じないとか。(ヨモツヘグイ通じなかった)
そういう配合されたデータ・視点の数とか、「どういう立場の人が発信した情報を摂取してきたか」とかで、その人から出力されるもの(思考・判断・行動)って変わってくるよねっていう。
くわえて、出力されるものって、抽出工程によっても変わってくる。
強い物言いをされたときと、柔和な伝え方をされたときの反応が違うように。
って考えると、コーヒーのブレンドとおんなじだなと、ふんわりと思った。
と、同時に。
昨今のSNSって、エコーチェンバーとかフィルターバブル(同じような考え方のトピックばかりになる現象)が起きやすいので、簡単に配合が変わってしまう状態でもある。とくに偏った方向に。
だからこそ、手っ取り早く情報を流し込んでくるネットだけじゃなく、本とか、映画とか、外出したときのいろんな光景だとかも積極的に摂取しないといけないなとも思う。それもいろんな情報・視点を、意識的に。
まとまりがない。
でもひとまずは、ブレンドの視点を手に入れたので、大幅に違う意見や批判を受けても、「あぁ違うブレンドの人なんだな」と少し落ち着いていられそうな予感はするようになった。
とりとめのない内容だが、忘備録的に残す。