文字版ラジオ定期便

抑鬱・適応障害を抱えるウェブライターのブログ

人生観

他人にそんなに興味が持てない!!!!!!

これは、以前から抱えていたもやもやの一つです。

 

こんにちは附木です。

今回は、シュレッダーをかけながらぼうっと考えていたことをまとめていきたいと思います。

 

 

人生は物語

f:id:hukihuuki:20210724104355j:plain

ClarissaBellによるPixabayからの画像

まず人生観から始まります。とはいっても、難しいことではありません。

 

なんとなく、私には「人生は物語である」という主観があります。

言っちゃえば、人生は「一度きり」「主観でしか語れないもの」「自己満足」っていうものから出てきた考えなんでしょうね。

 

そんなこんなで、誰しも自分の物語を主人公として生きているものだと思っています。

だから人生において自分の意思で行う選択というのはどれも大切で、重要な伏線になり得、ターニングポイントになり得るものとなる。

今はなんとなしにすることでも、今後重要な意味を持つことでもあるかもしれない。

 

そんなだから、私は私の「物語」でいっぱいいっぱいなんです。

そこで他人の「物語」を気にかける余裕っていうのはあまり無い。

でもね、時折聞く「他人の物語」が好きなのもまた事実で。(時折聞く友人の最近とか、読書とか好き)

 

だから、程よく遠い距離感(良い意味で)の人や、ネット上の友達としか付き合えないんだなと思うなどしました。

 

 

距離感が近すぎてしまえば「私の人生に干渉してこないで」と思うし。

距離感が遠すぎればそのまま「登場人物だった人」になっていったし。

 

そうだ、他の人物が「登場人物」だから、付き合いが多すぎる人や組織が苦手だったのかも。

私の「物語」の主導権が他に移るのが嫌だったんだな。

 

 

自分の「推しキャラ化」と「地雷化」

f:id:hukihuuki:20210724104530j:plain

Free-PhotosによるPixabayからの画像

いつのまにかそんな「人生は物語」観のもと生きてきた私ですが、ふとあることに気が付きました。

そういえば、私「自分が好きな時期」と「主観的な時期」と「心の底から嫌いな時期」が交互にくるよな、と。

 

まてよ、それ、自分が「自分というキャラクターの主観」である限り、そうコロコロ変わるはずはないよなと。

でも実際、割とコロコロコロコロと自分に対する感情は変わっていって。

 

「自分が好きな時期」は、アクティブで、自分のことを寛容に受け入れられる時期。はぴはぴ。

「主観的な時期」は、穏やかで、落ち着いて過ごせる時期。のんびり。

「心の底から嫌いな時期」は、自分が存在ごと嫌いで、嫌になって、いっそのこと……と思う時期。体が重い。

(これが大体数週間~1か月単位で移ろっていくのがわが人生。 )

 

これについて少し考えてみると「自分を第三者的に見ている人物がいて、その視点が移ろっているのではないか」と思ったんです。(「俯瞰的に見る」?)

「自分が好きな時期」は「(第三者から見た)推しキャラ化」

「主観的な時期」は第三者でなく自分と同一している時期。

「心の底から嫌いな時期」は「(第三者から見た)地雷キャラ化」。

 

つまり、「私」は自意識が3視点に分かれている……??と。

だから自分が好きな時期は、自身のスキルアップにめちゃくちゃ意欲的だし、なんにでも興味持って吸収しようとしたり、チャレンジしたりするの??と。(推しキャラだから、育成したい?)

 

そっか、「私」のプレイヤーは3人いるのか。

 

イタい、と思われそうだけど、なんとなくふっと腹の底に落ちたシンキングタイムでした。

 

まとめ

今までなんとなく、その時の状況(自分が好きな時期云々)で意見や考えがガラッと変わってしまうことや、感受性が全然変わること、あまりに他人に興味を持てないことを苦痛に思っていたのを何とかしないとな、と思っていました。

 

でもしょーがない!

プレイヤーは3人いるし、物語の主人公にはその人しかなれないし、自分は自分の物語で手一杯なんだからしょーがない!

 

自分らしい、自分の納得いく人生を送れればそれで及第点だ。

そんなことを思った土曜日の朝でした。